的確な環境変化対応経営と山田方谷流「フィロソフィ経営」

山田方谷銅像(高梁市郷土歴史館前)
山田方谷銅像(高梁市郷土歴史館前)

『(最適)環境適応』『変化と不変』『不易流行』『世界的視野(グローバル)』は、経営の王道を考える上で重要なキーワードです。

 

『不易流行』は、俳聖松尾芭蕉の俳諧の理念の重要なひとつです。「いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること」という意味ですが、不変の哲学・フィロソフィ、理念を基軸として、時代の変化に合わせて適切に対応・変化する”環境変化対応経営”の重要性を示唆しているといえるでしょう。

 

ところで、現代の卓越した経営者の方々はすべて世界的視点をもった”環境変化対応経営”の達人といっても過言ではないでしょう。

近年のコマツや富士フィルムなどの例はその一つの象徴といえるでしょう。

今後のICTやIOT、AI、フィンテック、ロボットなどの進化と深化、様々な技術の進歩や革新からどのような”環境変化対応経営”の達人が登場してくるか片時も目が離せないともいえるでしょう。

 

他方、歴史に目を転じると、幕末の再建の神様ともいうべき山田方谷も”環境変化対応経営”の達人だったといえるでしょう。また、方谷は「フィロソフィ経営」の達人、「人材育成(人材登用)の達人」、「地方創生の達人」でもありました。

 

その経営は、一言でいうと、山田方谷の哲学・フィロソフィともいうべき「儒学」と「陽明学」、そして「擬対策」と「理財論」等をベースに、ミッションと気高い理念と心を中核にした先見力と的確な数字に基づく”環境変化対応経営”です。

すなわち、フィロソフィと義に基づいた目標達成のための意識改革・組織風土改革、開発・生産・販売の一気通貫等の流通革命、6次産業化、リーダー育成(教育)、優れた人材の積極的登用、イノベーションとリノベーション、新事業育成、CRM戦略、ブランディング等々を時代の変化と時機を捉えながら総合的に着実に効果的に展開していく合理的な経営でした。

様々な改革課題や経営課題を解決し、成果を加速させ、実質7年で藩政改革を成し遂げました。

現代の経営者でいえば、稲盛和夫京セラ・日本航空(JAL)名誉会長との共通性には驚くばかりです。

 

経営の王道を追求するフィロソフィ経営は、ミッション経営、また、コンプライアンスを大切にする理念経営であり、心の経営でもあります。

 

全社員(全藩民、全国民)一人ひとりが生き生きとダイヤモンドのように光り輝き、クリエイティブで創造的な仕事を気高い理念、哲学、ミッションに基づき実践していく経営ともいえるでしょう。

 

これは古今不変の優れた経営の大きな特長といえるのではないでしょうか。

 

また、山田方谷は日本屈指の優れた教育者でした。後継藩主の教育から藩のリーダーは勿論、様々な優れた人財を多く育成しました。その事績をみると、現代でいう”後継社長育成の達人”、”リーダー・人財育成の名人”ともいうべき指導者といえるでしょう。

 

 

山田方谷銅像(高梁市郷土歴史館前)
山田方谷銅像(高梁市郷土歴史館前)

当研究会が大切な範の一つとしている山田方谷のフィロソフィ、理念の「理財論」(上)

 

 理財の密なる、今日より密なるは無し。而して邦家の窮せる、今日より窮せるはなし、畎畝の税、山海の入、關市舟車畜産の利は、毫糸も必ず増す。吏士の俸、貢武の供、祭祀賓客興馬宮室の費は、錙銖も必ず減ず。理財の密なる此の如し、且つ之を行うこと数十年、而も邦家の窮は益々救うべからず。府庫洞然として積債山の如し。豈に其の智未だ足らざるか。其の術未だ巧ならざるか。抑々所謂密なるが尚疎なるや。皆非なり。

 それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ち事の内に屈せず。而るにいまの理財者は悉く財の内に屈す。蓋し昇平已に久しく、四疆は虞なし。列侯諸臣は坐して其の安き。而して財用の一途、独り目下の患ひなり。是を以て上下の心は一に此に鍾まる。日夜営々として其の患ひを救ふことを謀って、其の他を知るなし。

人心は日に邪にして正すこと能はず。風俗は日に薄くして敦くすること能はず。官吏は日にまみれ、民物は日に敝れて検すること能はず。文教は日に廃たれ、武備は日に弛んで、之を興し之を張ること能はず。

 挙げて問ふ者あれば、乃ち財用足らず、なんぞ此に及ぶに暇あらんやと曰ふ。嗚呼この数者は経国の大法にして舎て修めず。綱紀は是に於てか乱れ、政令は是に於てか廃す。財用の途、またまさに何に由つて通ぜんとするや。然り而して徒らに錙銖毫糸の末に増減し較計せんとす。豈に財の内に屈する者に非ずや。何ぞ其の理のいよいよ密にして、其の窮のいよいよ救ふべからずを怪しまん。

 一介の士、粛然として赤貧なり。室は県磬の如く、瓶中には塵を生ず。而して脱然として高視し、別に立つところあり。而れども富貴はまた従って至る。財の外に立つ者なり。匹夫匹婦の希ふところは数金に過ぎず。而るに終歳齷齪し、これを求むれど得ず、饑餓困頓し、ついに以て死するに至る。財の内に屈する者なり。いま堂々たる侯国、富は邦士を有して、其のなすところは一介の士に及ばずして、匹夫匹婦と其の愚陋を同じくす。また大いに哀れむべからずや。

 三代の治は論ずるなし。管商富強の術に至りては、聖人の徒は言ふを恥ぢるところなり。然れども管子の斉に於けるは、礼儀を尚び廉恥を重んず。商君の秦に於けるや、約信を固くし刑賞を厳にす。此みな別に立つところありて、未だ必ずしも財利に区区たらざるなり。ただ後世の利を興すの徒は、瑣屑煩苛にしてただ財を之れ務めて、而して上下ともに困しみ、衰亡之に従ふ。此また古今得失の迹の昭昭たるものなり。

 いま明主と賢相とが誠によく此に省み、一日超然として財利の外に卓立し、出入盈縮は之を一二の有司に委し、時に其の大数を会するに過ぎずして、義理を明らかにして以て人心を正し、浮華を芟し以て風俗を敦くし、貪賂を禁じて以て官吏を清くし、撫字を務めて以て民物を贍し、古道を尚び以て文教を興し、士気を奮つて以て武備を張れば、綱紀是に於てか整ひ、政令是に於てか明らかに、経国の大法は修まらざるなくして、財用の途もまた従つて通ず。英明特達の人に非ざるよりは、其れ孰れかよく之を誠にせん。

(参考文献:山田準編「山田方谷全集」)

 

山田方谷のフィロソフィ、理念の「理財論」 (下)

 財の外に立つと、財の内に屈するとは、已に其説を聞くことを得たり。敢へて問ふ、貧土弱国は上乏しく下困しみ、いま綱紀を整へて政令を明らかにせんと欲するも、饑寒死亡先づ已に之に迫る。其の患ひを免れんと欲すれば、財に非ざれば不可なり。然れどもなほ其の外に立ってその他を謀らずとは、またはなはだ迂ならずや。

 曰く、此れ古の君子が義利の分を明らかにするを務むる所以なり。それ綱紀を整へ政令を明らかにするものは義なり。饑寒死亡を免れんと欲するものは利なり。君子は其の義を明らかにして其の利を計らず。ただ綱紀を整へ政令を明らかにするを知るのみ。饑寒死亡を免るると免れざるとは天なり。それサイ爾の滕を以て斉楚に介し、侵伐破滅の患ひ日に迫る。而るに孟子の此に教ふるには、彊て善をなすを以てするのみなり。侵伐破滅の患ひは饑寒死亡より甚だしきものあり。而るに孟子の教ふるところはかくの如くに過ぎず。則ち貧土弱国其の自ら守る所以のものは、また余法なくして、義利の分の果して明らかならざるべからざるなり。義利の分一たび明らかになれば、守るところのもの定まる。日月も明らかとなすに足らず、雷霆も威となすに足らず、山獄も重しとなすに足らず、河海も大なりとなすに足らず。天地を貫き古今にわたり、移易すべからず。また何ぞ饑寒死亡の患へるに足らんや。

 しかして区々たる財用をこれ言ふに足らんや。然りといへどもまた利は義の和なりと言はずや。未だ綱紀整ひ政令明らかにして饑寒死亡を免れざる者あらざるなり。なほ此の言を迂となして、吾に理財の道あり、饑寒死亡を免るべしと曰はば、則ち之を行ふこと数十年にして、邦家の窮のますます救ふべからざる何ぞや。

(参考文献:山田準編「山田方谷全集」)